『ゴジラ キング・オブ・モンスターズ』の感想と考察
『ゴジラ キング・オブ・モンスターズ』を視聴したので、つらつらと考察を書き出すことにする。
100%ネタバレにつき閲覧注意。
【本作のテーマ】
まず、ゴジラとはもともと「原水爆(実験)への警鐘」であり、怪獣ゴジラは「暴走する核エネルギー」のメタファーである。原水爆実験により目覚め、体内に原子炉を獲得し、放射能熱戦を吐く。
2016年の『シン・ゴジラ』は「暴走する核エネルギー」という要素を堅持しながらも、福島原発事故を想定し、ゴジラを制御不能に陥った原発の具現化とすることでゴジラの現代化(アップデート)に成功した。
ゴジラとは斯様なものであるがしかし、他の怪獣が参戦すると、ゴジラのこの「核エネルギーのメタファー」という要素は主たるテーマではなくなる。
複数の怪獣が暴れまわる状況にあっては人類など無力で、ゴジラが勝利することを祈りながら暴威が過ぎ去ることを待つしかない。つまり、本作のテーマは「人智を超えるものに対して私たちはどうふるまうか」=「人間中心主義・人間至上主義への反省」となる。本作はそのテーマを見事に表現している。なんといっても世界中で17体もの怪獣が目覚めて暴れているというのだ。「ゴジラを倒したこともある」さしもの米軍とてなすすべがない。予告ムービーで「人類にできることは、何もない」という台詞があったが、それが裏切られなかったので私は満足である(実際には、人類も色々やっているのだが)。
『シン・ゴジラ』も本作も名作だが、このようにテーマが異なるので比べることはできない。
【テーマに対する4つの立場】
⑴ギドラを目覚めさせる環境テロリスト・アラン。彼は「人類こそ地球の秩序を乱す悪である。ゆえに滅んでしまえ」と考える。
⑵モナークの古生物学者・エマ。彼女は「怪獣たちは地球のバランサーである。彼らによる破壊を受け入れることが、人類の未来を好転させることにもつながる」と考える。
⑶モナークの生物学者・芹沢猪四郎(とモナーク幹部)。彼は「人類は怪獣たちと共存していかなければならない。彼らと友好的な関係を築いて、人類の居場所を確保するしかない」と考える。
⑷元モナークの動物学者・マーク(と軍部及びアメリカ政府)。彼は「人類と怪獣は共存できない。殺すべきだ」と考える(マークの立場は作中で変化する)。
最終的に選びとられる……というか、本作で是とされる立場は⑶であろう。ちなみに『シン・ゴジラ』でも「人類はゴジラと共存していくしかない」と主人公が述べている。
視聴者がどの立場に親近感を抱くか?という観点で見ると、⑴は普通に考えて狂っているので論外。論外というのはつまり、本作を見てエコテロリストになろうと思い立つ人とかいないので、それに対するフォローとかそういうものも何もいらないということである。
⑷の立場に親しみを覚える人が(ゴジラファンではなく社会全体としては)多いのではないかと私は思っているし、監督もそう思っているからこそ、その立場の者を本作の主人公にした上で、彼が考えを⑶寄りに改めてゆく過程を描いたのだろうと考える。これは、本作がアメリカ映画であることを考慮すれば、自国第一主義、移民排斥等を唱える現大統領及び現政権支持者への批判と読むことができる。とはいえ、何か一個の事象に対する批判ではなくて、やはり排外主義と人間中心主義一般への批判ととっておくのが良いだろう。
⑵の立場の評価は難しい。私自身、エマの思想の正確なところを掴みかねている。ただ、本作では「怪獣に破壊された土地がかえって自然豊かになったり、怪獣由来の成分で科学技術が進展したりする」ことがエピローグで示唆されており、スクラップ&ビルドのような発想に一定の理解を示すものとなっている。人類の繁栄は全て意識的かつ計画的なものであるとは限らず、偶発的な「怪我の功名」であることもある、とも言える。⑵の代表者であるエマは死亡するものの、彼女の立場は完全否定されるべきものでもない、といったところか。
【ゴジラについて】
・審判者ゴジラ
前作(2014年)の監督は、ゴジラについてこう述べている。
「彼は疲れ切ったサムライのような存在だ。もう引退して静かに暮らしたいのだが、世の中がそうさせてくれない」と。今作も、そのキャラクターを継承しているといっていい。
本作では人類は2度、ゴジラによる審判を受けている。
1度目がゴジラとのファーストコンタクト、バミューダ海域のモナーク基地。主人公マークたちとゴジラが対面する。人類側はゴジラに向けていた武装を解除することで、敵対しない意思表示をした。ゴジラは喋りはしないが、おそらくこう言っているはずだ。
「てめーら、なにギドラ復活させてんの?バカなの?しゃーない、邪魔しないなら倒してきてやる」
2度目は、人類が誤ってオキシジェンデストロイヤーでゴジラを瀕死に陥らせ、芹沢博士が命を懸けてゴジラを復帰させたあとの、潜水艦上での対面。
「邪魔すんなって言ったよなあ!?人間の愚かさには呆れてものも言えないが、セリザワに免じて今回は見逃してやる」
私の脳内ではゴジラがこう言っていた。この2度の審判のとき、何かひとつでも対応を誤れば人類はゴジラに見放され、滅びの道を進んでいたのだ。
・ゴジラは人格的であるか?非人格的であるか?
日本の初期の『ゴジラ』は、ゴジラ自身には必ずしも人類を「裁く」ような意識はなく、結果的に人類の悪行が人類の身にかえるような物語であったことが多いように思う。それは、天に向かって吐いた唾が自身に降ってくるがごとく、自然の摂理であった。
『シン・ゴジラ』でも、生命体としての完全性に反してゴジラは非人格的存在であった。原発事故のメタファーとしては、「対話」で何とかできる存在であってはならないということと、いかにも「人類への報復のためにやって来ました」という意思が見えるのはわざとらしすぎて、反感を買う恐れがあるのだろう。
一方、本作(レジェンダリー・ピクチャーズ)のゴジラは、かなり高等な知能を持つ生物である。攻撃されたことへの直接的なヘイト(憎悪)のみならず、守るべきものに背中から撃たれることに対する恨みがましい気持ちも持ち合わせている。本能的にギドラを敵視しているというレベルではなく、ギドラを野放しにしておけば地球がどうなってしまうのかについても完全に理解した上でギドラと戦っている。
本作では『シン・ゴジラ』とは逆に、人類が意思を通じあわせることができる対象であるということが重要だったのだろう。
・ゴジラは人類にとっての何か?
ゴジラは怪獣の「王」とも呼ばれ、生物としての完全性から「神」とも呼ばれる。政府は「ゴジラを人間のペットにする」と発言したし、それに対し芹沢博士は「人間がゴジラのペットなのだ」と発言した。しかし芹沢博士は最期にゴジラを「友」と呼んだ。
芹沢の「友」とは、芹沢個人がゴジラの友でありたいという意思表示なのか、人類とゴジラが友でありますようにという願いなのか、さてはて。
【モスラについて】
・最初に登場する怪獣として
もっとも人類に友好的で、話のわかる怪獣が本作で最初に登場する怪獣であることは、とても良い。視聴者にとっても、ゴジラやギドラと対面する前の心の準備ができる。
ただまあ、モスラの卵といえば鳥類のような硬い殻でできていると思っていたので、ぐにぐに伸縮するゴムボールのような球体から何かが生まれようとするシーン、私は「え、どの怪獣が出てくるの?」と真剣に悩んだよね。
・モスラと心を通わす者
日本版でのモスラの理解者といえば「小美人」であるが、本作には小美人はいない。
本作のモスラと最初に心を通わせたのがエマとマディソン、2人の女性であるというのは、「小美人」を意識しているのか。さすがに無理があるか。
・怪獣の女王
モスラは怪獣たちの女王だと呼称されている。怪獣を産み育てる母体という意味ではなさそうなので、王たるゴジラの横に立つ者ということか。
しかし、モスラがギドラに殺される直前、ゴジラに振りかけた鱗粉がゴジラを再生・強化したかのような描写があるので、多種族に対するBuffを持っているのだろうか(私は平成モスラシリーズをまだ見ていないので、その辺りの設定が既存のものなのかわからない)。与える存在、施す存在としてのモスラ。
・モスラかわいい
私は虫全般が嫌いなのだが、モスラは可愛い。昭和のゴジラシリーズに登場するモスラでも可愛い。
【ラドンについて】
・ラドンの出現場所が火山
ラドンが火山から目覚めるのは原作リスペクトで良い。
・ラドンはコウモリの怪獣?
しかし、本作のラドンには色々な神話・寓話的イメージが付与されているように思える。
まず、ラドンが体の一部に炎をまとっている姿は火の鳥(フェニックス)のようだ、というのは多くの人が直感するところであろう。
一方、現地の伝承で「炎の悪魔」と呼ばれているという設定は、例えば『指輪物語』のバルログを彷彿とさせる(あれも皮膜の翼を持っている)。フェニックスは地域(というか宗派)によっては悪魔扱いされているので、フェニックスかつ悪魔というのも矛盾はしない。
ただ、私は、本作のラドンは徹底的に小物として描かれている点に注目したい。復活直後は戦闘機中隊を全滅させて絶好調だが、一撃でギドラに敗北するとギドラに与し、ゴジラ側のモスラと戦うもののモスラにも負けた上に、最終的にゴジラが怪獣王として君臨すると平伏してゴジラに許しを乞うという情けなさ。
その様子から私が想像するのは、「コウモリ」である。イソップ物語の『卑怯なこうもり』や、ことわざ「鳥なき里のこうもり」など、伝承におけるこうもりは上位のものがいない時は尊大に威張りちらし、勢力争いに際しては双方に良い顔をして容易に寝返る生き汚なさのシンボルとして描かれる。
ラドンファンというのがどのくらい居るのかわからないが、もしいるのなら、本作の情けないラドンというのが、だからこそ可愛いのかどうか知りたいところ。
とはいえ、昭和のラドンは特撮という制約ゆえに空中高速機動戦闘なんてできなかった。今回、戦闘機を圧倒するような空中パフォーマンスができたことはラドンの幸せなところだったのではないか。きりもみ飛行による翼撃とかイカしてる。
【ギドラについて】
・南極で目覚める者
ゴジラはバミューダ海域で、モスラは中国の洞窟で、ラドンはメキシコの火山で、ギドラは南極の地中で目覚める。
「氷の中で眠っていた悪が目覚める」というだけなら類似作品は数多あると思われる(『デビルマン』とか)。
しかし、太古に宇宙から飛来した巨大生物、支配者の資格を持つ者、日本発祥のアメリカ映画、という要素を含めていくと『トランスフォーマー』のメガトロンを意識しているのではないか?とか、私は思ってしまう。メガトロンが眠っていたのは北極だけども。
※調べたところ、「南極で目覚める宇宙生物」は『遊星からの物体X』が元ネタなのだという。グロテスクホラーは苦手なのだが、物体Xも見てみなければならないか。
・ギドラのモチーフ
本作の設定では、ギドラは大昔から幾度も人類を恐怖に陥れていて、神話などに残る竜/ドラゴンの伝承は「あまりにも恐ろしすぎて直接的には記すことのできないギドラの姿が、わざと形を変えて残されたもの」なのだという。つまり、あらゆる竜のイメージのアーキタイプであるということができる。
竜の伝承について調べる時、欧米人であろうマークが「邪悪な竜を倒すドラゴンスレイヤーとか何かないのか?」と問うのに対し、中国系の研究者であるアイリーンが「東洋では、竜は邪悪ではなく神聖なものよ」的なことを言うのだが、このあたりはどう解釈したものか。説明はまさしくその通りであるが、肝心のギドラは(首が長いのは東洋的でありながら)性質は邪悪なドラゴンそのものである。
それとも、ゴジラ=恐竜=竜という意味で、ゴジラ擁護を含意していたのだろうか。
ちなみに、怪獣を「人智を超えたもの」として扱うなら、自然災害のメタファーとして捉えることもできる。
1体が綺麗に1種類の災害を表しているとは到底言えないものの、ギドラはハリケーンを操り、電撃(引力光線ではない)を吐く怪獣となっており、まさに恐ろしき自然災害の化身であるとも言える。
・なぜギドラが悪なのか?
「怪獣は皆殺しにすべき」という主張は平等で明快である一方、「ゴジラと協力してギドラを倒すべき」という主張は、「なぜギドラだけを倒すのか」について理屈が必要となる。ゴジラは人間を攻撃しないから……というのでは、それは「今、偶然」の話でしかなく、理屈としては薄弱である。
それについて、本作では「ギドラは太古に宇宙からやってきた地球外生命体であり、地球の生態系に含まれないので共存が不可能」という理由づけがなされている。(日本のゴジラでも、ギドラは金星の怪獣である)要するに、湖に放たれたブラックバスのようなものか。特定外来生物。駆除対象。
つまり、モナークは「地球に暮らす全ての生き物」と連帯すべきだという姿勢で、敵味方の線引きは地球外か、地球内かである。
現実世界ではナショナリズムが台頭し、国や民族レベルでまとまるのが精一杯で、地球という単位で団結することが夢のまた夢である。故に一見、地球生物の連帯という主張は理想的に見える。
しかし一方で、出身という変更不可能な属性によって排除する対象を選ぶという点ではナショナリズムと同じ構図であり……いや、「ギドラまで受け入れる方法を考えよ」なんて、それこそ頭の中お花畑の理想論なのだが。
『インデペンデンス・デイ』では、宇宙人を歓迎しようとする一部の市民がまっさきに殺されていた。『E.T』のような個人間で心を通わすレベルではなく、宇宙人の生存権を認める映画というのはあるのだろうか?『地球が静止する日』?
【モナークについて】
・リアリティ
『シン・ゴジラ』は「もし現実世界にゴジラが出現したら、政府・社会はどのような対応をとるのか」をリアリティたっぷりに描いた作品であった。
一方、本作もまた別の方向でリアリティ溢れる世界を構築していると言える。その「リアリティ」は、個人的には『バイオハザード』とよく似ているなと思う。t-ウィルスと巨大生物。モナークとB.S.A.A。はじめは人類にとって災厄・脅威として現出したものが、ひとたび鎮圧され、世界に周知された後、ある者は再びの災厄を防ぐために組織を作り、ある者は自らの利益のために悪用せんとする。
巨大生物は架空の存在であるけれども、それに関わる人間関係がどこまでも人間くさいのである。そういうリアリティ、好き。
・モナーク兵への教育はどうなっているのか
ひとつ、納得がいかないのは、ギドラが復活した際にモナークの兵士が小銃を乱射するシーンである。
巨大生物の専門機関であるモナークなら、巨大生物の種類にもよるだろうが、歩兵の持つ小銃ごときは蚊が刺す程度の効果しかないことはわかっているだろう。
「巨大生物には小銃で立ち向かおうとせず、一目散に逃げろ!」という教育を徹底すべきだと思う。
・アルゴ
モナークの司令塔たる巨大戦闘機アルゴ。名称の元ネタはギリシア神話の英雄たちの船アルゴー号だろうと思われる。かのヘラクレスも乗船した船であり、ヘラクレスといえばヒュドラ退治である。本作のギドラは、首を一本落とされてもすぐに再生する。ヒュドラの不死性とそっくりである。
そういう意味ではアルゴという名称は人類の乗り物として適切であるようにも思えるが、しかしアルゴはギドラから逃げ回っていただけだし、名前前負けしているよなあ……という。
余談だが、『地球防衛軍』ではフォーリナー(宇宙からの侵略者)の超巨大航空戦艦の名前がアルゴ。人類の船になったりエイリアンの船になったり忙しいな、アルゴ。
【オキシジェンデストロイヤーについて】
・人類の愚
本作では、人類にとっての希望であるはずのゴジラを瀕死に追い込んでしまう兵器としてオキシジェンデストロイヤー(を弾頭に搭載したミサイル)が登場する。人類の愚の象徴、間違った科学技術の象徴である。
オキシジェンデストロイヤーは、初代『ゴジラ』でゴジラを殺した禁断の兵器である。初代『ゴジラ』では、発明者の芹沢博士が「これの存在が世間に知られれば、必ず軍事転用する悪者が現れる」と言って使用を頑なに拒否したが、最終的に説得され、製造方法を記した資料と、製造方法を知る自分自身を葬る代わりに1度だけ使用した。これはそのまま、世界大戦時に核兵器・生物兵器・化学兵器の開発に協力してしまった科学者たちの反省を表している。
・芹沢は2度死ぬ
本作でオキシジェンデストロイヤーが登場した瞬間、私は「まじかー」と目を見開いてしまった。
私がこの件について若干納得いかないのは、やはり十分な前フリなく唐突に登場したからであろう。「極秘に開発していたものが完成した」と司令は言うものの、誰が開発していたのかも不明、完全なるオリジナルなのかそれともどこかに研究資料が残っていたのかも不明。しかも司令はその直後に「すでにオキシジェンデストロイヤーを搭載したミサイルが発射された、戦闘地域から退避しろ」と言うのである。
初代ではそれを使うべきかどうか、ただそれだけで何十分も尺を使ったのである。「撃っちゃった☆てへ」で済むようなものではない。展開上、ゴジラを瀕死に追いやる必要性があっただけなら、まったく新しい兵器を考案してくれても良かった。
しかしそれでも、オキシジェンデストロイヤーによって瀕死となったゴジラを救うため、芹沢博士が海底へ向かい、自分の命と引き換えにゴジラを回復させるシーンは泣けてしまう。オキシジェンデストロイヤーを使う=その贖罪のために芹沢が死ぬ、というジンクス的なものを作り上げるのは面白いといえば面白い。
ただ、次回作を作る予定なら、次の「博士枠」をどうするのか?
【その他】
・スタッフロール
スタッフロールに怪獣の名前が載っていて、キャストでは「Godzilla:himself」となっている。ただのジョークといえばジョークなのだが、怪獣をひとりと見なす姿勢は脱・人間中心主義が貫徹されているようで高評価。
『シン・ゴジラ』でも「キャストは328+1」です、という発言があったようだが、あれはゴジラではなくてゴジラのモーションキャプチャーの担当者を最後の1人として数えたという話なので、別の話か。
・本作の決戦の地
本作の決戦の地はボストン。前作はサンフランシスコ。アメリカの地理には疎いのでなぜボストンなのか、詳しい考察はできないが、西海岸の次は東海岸という極端さは何やらゆかし。
日本のゴジラも東京・大阪・北海道・名古屋……etc、「破壊しがいのある」都市を次々と巡回しているわけで、監督も「せっかくゴジラがアメリカに来てくれるなら、ぜひこの街を破壊してもらいたい!」という何かしらの希望があってボストンを選択したのだろう。気になる。
・戦闘の制限時間と言えば
決戦時のゴジラは過剰に核エネルギーを注入されたことで、通常よりパワフルになった代わりに12分でメルトダウンを起こし戦闘不能になるらしい。
なぜ12分なのかは私にはわからないが、戦闘時間に制限があると言えば、日本の特撮でもお馴染みだよね。
・声優
テロリスト・アランの声の吹き替えが土師孝也。私の中では『Fate』の新宿のアーチャーの声の人。信念ある老獪極まる人物の役がクッソはまり役なんだなあ。
・やはり私は脇役が好き
モナークの技術統括官、サム・コールマンが非常にいいキャラをしている。
シリアスな作品で、小さな笑いをくれるキャラクターは大事。巨大生物に有効な手を打てずにいることで社会から批判を浴びているモナークが、解体されないように渉外活動に努める縁の下の力持ちなのに、ほかのメンバーから邪険に扱われているのも笑える。