空色帝国

ひとまずノンジャンルで。

「無能な働き者」はなぜダメなのか?

【はじめに】

 一般に『ゼークトの組織論』と呼ばれる有名なコピペがある。

将校には四つのタイプがある。利口、愚鈍、勤勉、怠慢である。多くの将校はそのうち二つを併せ持つ。
一つは利口で勤勉なタイプで、これは参謀将校にするべきだ。
次は愚鈍で怠慢なタイプで、これは軍人の9割にあてはまり、ルーチンワークに向いている。
利口で怠慢なタイプは高級指揮官に向いている。なぜなら確信と決断の際の図太さを持ち合わせているからだ。
もっとも避けるべきは愚かで勤勉なタイプで、このような者にはいかなる責任ある立場も与えてはならない。

 正確な出典は不明であるが、wikipediaはクルト・フォン・ハンマーシュタイン=エクヴォルトの言であるとしている。本稿では、20世紀前半のドイツにおいて、軍人が軍組織を想定して述べたであろうことがおおよそわかっていれば良いので、wikipediaで十分なものとする。

 

 この『ゼークトの組織論』(以下、『組織論』とする)が長く引用され続けている理由は、「怠慢より勤勉のほうが有害である」という主張にある。勤勉は善であるという一般的な規範に反しているので、意識高い系に好まれるのである。

 私自身はこの『組織論』から特別な教訓を得てはいないが、この『組織論』に悩まされる善良なる働き者が幾らかいることを知ったので、私の解釈と批判を述べてみることにする。

 

【解釈】

  利口↔︎愚鈍、勤勉↔︎怠慢の2×2マトリクスとなっている。

 原文では「愚鈍で勤勉」がなぜ避けるべきなのか理由を書いていないので、それ以外のタイプから逆説的に理由を導くこととする。

 「愚鈍で怠慢」は、一見して良いところがない。「軍人の9割に当てはまり」とあるので、少なくとも、抜きん出た所のない凡人タイプであることは確かである。では、なぜ組織に所属することを許されているのか。

 「愚鈍で怠慢」はルーチンワーク(繰り返しの作業、手順通りの作業)に向いているとされる。つまり、「愚鈍で怠慢」は勝手に余計なことをしない点に着目され、評価されている。

 許可を取らず勝手なことや新しいことを行おうとすることを「勤勉」と呼ぶのなら、「勤勉」は現代的な規範においても悪である。であれば、ここでいう「勤勉」は全て悪である前提で、「利口で勤勉」である場合のみ例外的に許されていると理解するのが妥当であろう。

 「利口で勤勉」とは、具体的にビジネスで例えるなら「そんなこともあろうかと◯◯を発注しておきました」「△△社との交渉はもう進めてあります」「わらじを懐で温めておきました」といったものだろう。独断専行が、結果的な利益によって不問に帰されているのである。

 

 このように読み解くと、「愚鈍で勤勉」なるものの姿が明らかになる。即ち、独断専行で失敗する人間である。

 

【一般的に言われる対策】

 ここまでは色々な自己啓発本、ビジネス情報サイトでもよく言われることである。

 そして、「愚鈍で勤勉」タイプへのアドバイスもお決まりである。「報告・連絡・相談(報連相)をしっかりとすること」である。

 「愚鈍」を即座に直すことはできないので、「勤勉」=独断専行を改めよ、と言うのであろう。

 

 私も報連相をしっかり行うこと自体は良いことだと思う。しかし、この『組織論』から導くべき教訓として正しいのかどうかについては、疑問が残る。

 

【状況の特殊性】

 この『組織論』は、軍人が軍隊という組織を念頭において発言したものである。

 戦争とは、

 ⑴情報と資源が恒常的に不足する極限状態であり、最善の選択ができない

 ⑵指揮命令系統が断絶したり、頻繁に組織が再編される

 ⑶一刻を争う緊急の決断を要するが、1つの判断ミスが部隊を壊滅させうる

 という、非常に特殊な状況である。

 

 先に書いたように、『組織論』は「報連相をしない人間を問題視している」と解されることが多い。しかし、戦時は「報連相をしない」のではなく「できない」環境なのだと言える。

 ゆえに、この『組織論』の真の教訓は「報連相をしない人間を登用するな」ではなく「報連相が不可能な環境下では、無能で意欲的な人間を登用するな」なのだろうと私は考える。

 

【経営組織論への応用可能性】

 つまるところ、この『組織論』とは情報・人的ネットワークが断絶されうる状況における権限の付与について語っている。

 しかしそうなると、この『組織論』を経営組織論に応用することができるかどうかは甚だ怪しい。

 戦時中の軍隊においては、

 「将官が戦死したので、急遽佐官が指揮をとる」とか

 「司令部と連絡がとれないが、今すぐ進軍か撤退か決断しなければならない」とか

 「攻撃座標を間違えた結果、敵軍の奇襲を受け一個師団が壊滅する」ということはありえる。

 しかし現代の企業では、

 「課長が急死したので、急遽係長が職務を代行する」とか

 「本社と連絡がとれないが、今すぐ契約するかしないか決断しなければならない」とか

 「入力するデータを間違えた結果、敵対企業の奇襲を受け関西支社が壊滅する」とかは普通、ありえない。そんなことがあり得るのは日曜夜の銀行ドラマか、現実であり得るとしても超最先端のベンチャー企業など極めて僅かな例のみであろう。

 

【まとめ】

 ⑴「勤勉」の意味するところが現代の一般的な意味と異なる

 ⑵報連相をしない人間への戒めであるという解釈も正しくない

 ⑶戦争という極限状態を前提にしているので、現代の普通のビジネス、普通の社員に適用できない

 

 私が憂慮するのは、この『組織論』と冷笑主義の結びつきである。もともとこの『組織論』を語った人物に、勤勉を冷笑する目的がなかったことは明白である。

 しかし、この『組織論』が「無能な者は努力しても有害無益である」という文脈で使われる場合があることを知った。こうした物言いは問題があろうから、本稿がそうした呪詛を祓う一助になればよいと思う。